長谷川博己さんは、今でこそ俳優として大成していますが、どういった幼少期を過ごしてきたのか気になります。
長谷川博己さんが成功するまでの経緯を時系列で知りたいですよね。
というわけで、長谷川博己さんの幼少期から現在までの生い立ちを本記事で確認しましょう。
ほかにも、長谷川博己さんのデビューのきっかけもお話ししますよ。
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長谷川博己の生い立ち・幼少期から現在まで!
長谷川博己さんは、建築家の父・長谷川堯さんと母親、そして料理研究家の妹・長谷川弓子さんの4人家族のもとで育ちました。
父親は建築家としてかなり有名で、妹の弓子さんはテレビに出演するなど実力の持ち主です。
噂によると母親は宗教に傾倒していて、長谷川博己さんとは絶縁状態にあるんだとか。
長谷川博己さんの出身地は東京都ですが、小学生のときには海外への移住経験もあります。
そういった長谷川博己さんの生い立ちや各世代のエピソードを、確認しましょう。
長谷川博己の生い立ち① 幼少期のエピソード
長谷川博己さんは、あまり過去のエピソードをおおっぴらに語りません。
そのため、幼少期や学生時代のエピソードも公開されているものは一握りです。
もしかすると、現在の知的なイメージを崩さないように、過去の苦境や苦労はあまり語らないよう意識しているのかもしれませんね。
しかし、そんな長谷川博己さんですが、3歳のときに『インディー・ジョーンズ』の1作目を見て映画が大好きになったという幼少期のエピソードが明かされています。
映画が大好きになった長谷川博己さんは、しばらく映画監督になるという夢を抱いていました。
もしも長谷川博己さんが本当に映画監督になっていたら、どんな映画を撮っていたのでしょうか。
長谷川博己さんはちょっとユーモアも持ち合わせている性格なので、エッジの効いたシニカルな映画を撮影しそうですよね。
長谷川博己の生い立ち② 小学生時代のエピソード
長谷川博己さんは、小学生時代父親の仕事の都合で一家揃ってイギリス・ロンドンへ移住しました。
長谷川博己さんがロンドンへ行ったのは、小学3年生のときのことでした。
長谷川博己さんは当初海外への移住がすごく嫌だったのですが、実際に足を運んでみると様々な経験をできて学びへの価値観が変わったため、彼にとって海外移住はとてつもなく大きなターニングポイントとなったのです。
長谷川博己さんはロンドンで多様な文化に触れあい、言語を学びます。
また、このときに長谷川博己さんの感覚や価値観もワールドワイドなものに変貌しているため、将来的に役者になってこの価値観の変化が大きく役立ったといえます。
そして父親は、長谷川博己さんを現地の学校へ通わせました。
こうした大きな環境の変化は、長谷川博己さんにとって大幅にプラスになったのです。
安定した環境で子育てをすることも大事ですが、刺激的な場所へ子供を連れていくのも、親にしかできないことです。
長谷川博己さんはきっと、価値観を大きく変える経験をさせてくれた父親に感謝していることでしょう。
長谷川博己の生い立ち③ 中学時代のエピソード
長谷川博己さんは、中学生時代バスケットボール部に所属していました。
長谷川博己さんの中学校はバスケットボールの強豪校で、長谷川博己さんはずっとレギュラーになれず、補欠だったそうです。
それでも長谷川博己さんはバスケットボール部を辞めずに3年間続けました。
長谷川博己さんいわく中学の部活は苦しいことしかなかったそうですが、そういった苦しい環境から逃げ出さなかったからこそ、今の長谷川博己さんのキャリアがあるのだと個人的には思います。
やはりつらいときに頑張った人は、将来的に大きな進化を遂げますよね。
長谷川博己の生い立ち④ 高校時代のエピソード
長谷川博己さんは、男子高校の明星高校に進学しました。
長谷川博己さんは中学時代から明星に通っていたため、高校は内部進学です。
明星高校の男子校規則はとても厳しく、他校の女子生徒との接触は禁止とされていました。
そのため、高校時代他校の女の子にバレンタインチョコをもらったときは「絶対自分宛ではない」と思い込んで逃げてしまったという長谷川博己さん。
逃げられた女の子もびっくりしたでしょうが、長谷川博己さんも慣れない女の子からのアプローチに緊張のピークだったでしょうね。
高校時代の長谷川博己さんは以外にも三枚目キャラで、周囲からは「ハセ」と呼ばれるお笑いキャラだったそうです。
長谷川博己の生い立ち⑤ 大学時代のエピソード
長谷川博己さんは、明星高校から中央大学文学部に進学しました。
大学ではフランス文学を学んでいました。
中央大学文学部は、偏差値が60以上ある難関校です。
このように長谷川博己さんの学歴を見ていると、かなりの努力家であることが分かりますね。
長谷川博己さんがどんな苦境にもめげない性格であることは、難関大学に進学したことからもよく伝わります。
そして、長谷川博己さんは大学時代ヨーロッパをバックパッカーとして旅しました。
この経験はおそらく小学生時代の海外移住がきっかけで長谷川博己さんの心の中に起こった価値観の変化の現れでしょう。
ちなみに長谷川博己さんは大学時代に役者デビューしていますが、大学はきちんと卒業していますよ。
長谷川博己さんは、自分の夢を持ちながらもやるべきことはきちんと貫く、一本筋の通った性格なんでしょうね。
長谷川博己の生い立ち⑥ 現在
そして現在長谷川博己さんは、売れっ子俳優として一世を風靡しています。
2024年は主演ドラマ『アンチヒーロー』が大ヒットして、CMにも引っ張りだこ。
プライベートでも、鈴木京香さんと交際を続けるなど、順風満帆です。
鈴木京香さんとの結婚を反対されたことや宗教問題がきっかけで、長谷川博己さんは母親と絶縁しているという噂もあります。
真相は定かではありませんが、長谷川博己さんの人生にもいろいろあるようですね。
しかし、長谷川博己さんはそういったプライベートなことを表に出しません。
長谷川博己さんが表に明らかにするのは、あくまで役者としてのキャリア、そいて役者としての誇りだけです。
鈴木京香さんも、長谷川博己さんのそんなストイックな部分に惹かれて交際を続けているのかもしれませんね。
デビューのきっかけも!
長谷川博己さんのデビューのきっかけは、大学4年生のときに友人に頼まれた芝居のピンチヒッターでした。
このとき長谷川博己さんはまだ役者を目指していませんでしたが、友人の頼みで芝居をしてみたら周囲からも好評で、自分も案外ハマっていつと感じたのか、このときのピンチヒッターを機に役者を目指そうと志したのです。
長谷川博己さんは役者を目指して平成13年に文学座付属演劇研究所に研究生として入所してから4年後には正座となりますが、残念ながらその翌年には退所しています。
文学座は正座に昇り詰めるまで非常に大変な世界ですが、長谷川博己さんは外からの仕事を受けられないという文学座の手法に違和感を覚えて退所したようです。
長谷川博己さんの中で、一つの世界を極めるには様々なジャンルの人々と心を通わせるべきという美学があるのかもしれませんね。
それは、海外移住やバックパッカーとしての経験が基礎となってできあがった価値観な気がします。
父親は長谷川博己さんが役者になることに猛反対しており、長谷川博己さんも大学卒業後は一応一般企業に就職しました。
ただ、やはり役者になりたいという夢を諦めきれず、長谷川博己さんは文学座に所属して退所したあと、フォスターという事務所に所属することになります。
既に役者としてデビューしていた長谷川博己さんですが、残念ながらイマイチぱっとしません。
しかし、悪戦苦闘しながら2010年に『セカンドバージン』に出演したことをきっかけに、俳優として一気に飛躍したのでした。
まとめ
長谷川博己さんは、幼少期から様々な経験をしてきました。
そして、それが俳優としてのキャリアに繋がったといえます。
長谷川博己さんのように何事も臆することなく飛び込んでいける性格だと芸能界でも重宝されますよね。
今後も長谷川博己さんが俳優としてさらに前進できるように、応援しましょう。