近頃、お茶の間の女子たちのハートをガッチリつかんでいる、イケメン若手俳優の間宮祥太朗さん。
鋭い目力と日本人離れした濃い顔立ちは、一度見たら忘れられないほどのルックスです。
そんな間宮祥太朗さんが芸能界にデビューしたきっかけは、どのようなことでしょうか?
また、子供の頃はどのような家庭に育ち、どんなお子さんだったのでしょうか?
今回は間宮祥太朗さんの生い立ち・幼少期からデビューまでを詳しくみていきましょう。
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間宮祥太朗の生い立ち・幼少期からデビューまで!
間宮祥太朗さんは本名を馬渡祥太朗(まわたり しょうたろう)といい、横浜市に生まれました。
兄弟はおらず一人っ子で、大切に育てられたと思われます。
間宮祥太朗さんの生い立ちを、幼少期から順に見てみましょう。
幼少期
間宮祥太朗さんの幼少期について詳細は明らかになっていませんが、両親はもとより祖父母からも深い愛情を受けて育てられたはずです。
それを表す一つのエピソードとして、幼少期に祖父母に連れられてよく旅行に行っていました。
5歳の頃には祖父母と一緒に船で世界一周旅行をしたと語っています。
おじいさんの意向で、将来世界に出ても困らないような経験を積ませたかったそうです。
その愛情もさることながら、船で世界一周するのは当然豪華客船ですから大変な旅費がかかるので、間宮祥太朗さんはとても裕福な家庭に育ったと考えられます。
このように幼少期に多くの見分を積んだ間宮祥太朗さんは、多少のことでは動じない落ち着いた少年に育っていったのではないでしょうか。
小学校時代
間宮祥太朗さんは小学生の頃から映画を見るのが好きで、毎週家族で映画を鑑賞していました。
小学生で大人の映画を集中力を切らさず見ていたというのはとても印象的で、落ち着いた少年であったとともに、本当に映画が好きだったのだとうかがえます。
そして当時から、将来は映画に関わる仕事がしたいという夢を持っていたと語っています。
間宮祥太朗さんは運動神経も抜群で、子供の頃から大変走るのが速く、運動会のリレーでは常にアンカーを務めていました。
また、小学校1年生で野球を始め、中学2年生になるまで野球を続けました。
野球では、その高い身体能力を活かして投手をしていました。
余談ですが、2019年7月にはプロ野球の試合前に始球式の投手として登場し、139キロという芸能人最速の驚異的な数字を叩き出しています。
ずっと野球を続けていたら一体どんな選手になっていたのか気になるほどの能力です。
ちなみに間宮祥太朗さんは横浜市出身ですが、小学生の頃からずっと阪神タイガースのファンなのだそうです。
中学校時代
間宮祥太朗さんは2006年に法政大学第二中学校に進学しています。
当校は現在は男女共学ですが、間宮祥太朗さんが在学中は男子校でした。
間宮祥太朗さんは小学生の時に私立の中学を受験したいと両親に願い出て、この中学校に進学しています。
法政大学第二中学校は野球の強豪校でもありますが、野球選手としてレベルアップしたかったゆえの進学希望だったのかは不明です。
中学生になった間宮祥太朗さんは二年生で野球を辞めています。
そして中学二年生のときに読者モデルとして雑誌に載ったことから芸能界に入ることになりました。
中学三年生には俳優としてもデビューしています。
高校時代
間宮祥太朗さんは2009年に神奈川総合高等学校に入学しています。
高校生のときから既に俳優として活動していたので、学業のほうはそれほど熱心ではなかったと思われます。
高校2年生のときには『3年B組金八先生ファイナル』に出演しています。
高校時代に少しずつ実績を積んで、このように有名なドラマにも出演した間宮祥太朗さんは、俳優として確実にステップアップしていきました。
そして間宮祥太朗さんは高校卒業後に大学には進学せず、芸能活動に専念しています。
デビューのきっかけは?
間宮祥太朗さんは中学生のとき、先輩に声をかけられてローティーン向けファッション雑誌の読者モデルとしてデビューしています。
その先輩もモデルを務めていたそうですが、たまたま人手が欲しかったそうで、誰かモデルになりそうな少年がいないかということで間宮祥太朗さんに声がかかりました。
間宮祥太朗さんはその雑誌の記事で特集が組まれるほど高い人気を獲得し、読者の少女たちの心をつかんだのです。
その後の2008年、まだ中学3年生ですが早くも日本テレビ『スクラップ・ティーチャー~教師再生』で日置祥太朗役として俳優デビューしました。
また、間宮祥太朗さんが芸能界に入るきっかけの一つとして、小学生の頃の家族の習慣があったようです。
日曜の夕食後に家族で映画を一本見るという習慣があったと間宮祥太朗さん本人が語っています。
お父さんの仕事は日曜日が休みだったそうで、時間にゆとりのあるときに家族団らんの時間を持とうとしたお父さんの意向だったと思われます。
あるいは、映画を見ることで息子に人生について考えさせたかったのかもしれません。
間宮祥太朗さんは小学生の頃から映画に親しみ、子供向けの映画ではなく大人の映画を両親とともに鑑賞していました。
好きな映画として、鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』と、レオス・カラックス監督の『ホーリー・モーターズ』を挙げています。
また、間宮祥太朗さんが芸能界入りすることになるきっかけの一つとして考えられるのは、お母さんが美容師だったことです。
国際的な大都市・横浜で美容師を務めたお母さんですから、高い美意識を持っていた方であることは容易に想像できます。
間宮祥太朗さんはプライベートの写真でお母さんの姿を公開していますが、とても美人な方です。
そんなお母さんに育てられた間宮祥太朗さんも、当然のように美的センスが磨かれ、小学生の頃から整髪料をつけるほどおしゃれに気を使っていました。
運動神経抜群で美意識も高い少年とあっては、周囲も放っておかなかったことでしょう。
子供の頃が可愛い!
間宮祥太朗さんは一人っ子で兄弟がいませんので、両親の愛情を一身に受けて育ちました。
美意識の高いお母さんに育てられた一人息子ですから、きっと可愛かったに違いありません。
間宮祥太朗さんは子供の頃の写真を公開しています。
とても可愛らしく、現在の間宮祥太朗さんの面影が感じられる写真ですね。
後ろに写っているのが外国の方のようですから、先述の世界一周旅行の船の中か、旅の最中に立ち寄ったどこかの写真かもしれません。
そうだとすると、この写真は間宮祥太朗さんが5歳のときの姿ということになります。
5歳にしては長身で、かわいらしさと共にりりしさも感じ、運動神経が抜群だったこともその姿から想像できる写真です。
こちらは少年野球時代の写真です。
顔ははっきりとは分かりませんが、眼光が鋭く、かわいさの中にも闘争心のようなものを感じます。
体格的にまだ低学年だと思われますが、間宮祥太朗さんのように小学1年生から野球を始める子は多くはなく、プロ野球に進むようなエリートでも3年生くらいから本格的に始めることが多いようです。
間宮祥太朗さんはそれほど運動神経が群を抜いていて、上級生と混じっても普通に野球ができたのでしょう。
次は中学生時代で、読者モデルを務めていたときの写真ですが、本名の馬渡祥太朗で掲載されています。
かなり大人っぽくなってきましたが、まだ少年らしいあどけなさを残しています。
ローティーン向けの雑誌でしたが、読者の少女たちから大変な人気だったそうで、異例の特集まで組まれるほどでした。
きっと学校でも同級生の女子からモテたことでしょう。
この読者モデル時代を経て、俳優へとデビューすることになり、念願だった映画界での仕事へ近づいていきました。
まとめ
ここまで間宮祥太朗さんの生い立ちを見てみました。
幼少期のかわいらしさや、俳優デビューに至ったきっかけまで、どのような少年時代を過ごしたかが分かりました。
一人息子である間宮祥太朗さんの子供の頃の可愛い姿は、家族から相当に愛されて育ってきたことがうかがえます。
また、ただかわいがるだけではなく、良い経験をたくさん積ませてもらっていることも、家族の深い愛情を感じます。
将来、間宮祥太朗さんも家庭を持って父親になるでしょうが、両親や祖父母から受けた愛情が彼の子供たちにも受け継がれていくことでしょう。
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