趣里の生い立ち・幼少期から現在まで!デビューのきっかけも!

趣里

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女優・趣里さんは大御所俳優と元アイドルの両親を持ち、興味深い生い立ちがありました。

趣里さんの幼少期から現在までの半生を、振り返りましょう。

デビューのきっかけもご紹介します。

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趣里の生い立ち・幼少期から現在まで!

趣里

趣里さんは、大物俳優・水谷豊さんとキャンディーズ元メンバー・伊藤蘭さんの愛娘です。

父親である水谷豊さんの盟友・松田優作さんの誕生日に生まれたのが、娘の趣里さん。

趣里_両親

水谷豊さんは趣里さんに亡き松田優作さんへの想いを馳せたのではないでしょうか。

幼少期からの趣里さんの人生を、一挙に振り返りましょう。

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幼少期のエピソード

趣里_幼少期

趣里さんは1990年9月21日、東京都に誕生しました。

幼少期は物静かな子だったのですが、4歳のときにお友達にクラシックバレエに誘われたことをきっかけにバレエに目覚めます。

母親である伊藤蘭さんは「やってみる?」と軽い気持ちで趣里さんにバレエをやるか尋ねて、趣里さんは悩んだ末やってみようと決意。

最初の頃はバレエ独特の環境に馴染めずレッスンについていくのが大変でしたが、お友達との時間を共有するため一生懸命レッスンに通いました。

趣里

趣里さんが通っていたバレエ団は東京都世田谷区の井上バレエ団。

最初はレッスンに馴染めない趣里さんでしたが、徐々に体が動くようになりバレエを楽しめるよになったそうです。

趣里さんの幼稚園通園時の送迎は、父親の水谷豊さんが自転車で担当していました。

趣里

帰り道は趣里さんの友達の家に一緒に行って、お茶を楽しんでいたんだとか。

水谷豊さんが自転車に乗る姿はもちろん、趣里さんのお友達やお友達の母親と談笑する姿を想像すると心が温まりますね。

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小学生時代のエピソード

趣里

4歳のときからクラシックバレエを始めた趣里さんは、6歳のときに初舞台に立ちます。

初舞台に立ってからはバレエに夢中になり、辛いことがあってもバレエを踊れば忘れるようになったそうです。

趣里

小学校でも休み時間になるとお友達と教室の後ろでバレエを踊っており、小学校6年生のときには『くるみ割り人形』で主演を務めました。

趣里さんは『くるみ割り人形』で主役のクララを演じたことで、本格的にバレリーナを目指すようになったのでした。

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中学時代のエピソード

趣里_バレエ

趣里さんは桐朋女子中学校に進学

中学時代はバレエ一筋で充実した生活を送っていました。

中学卒業後はバレエのために海外留学したいと考えて、中学時代3カ月間都内のインターナショナルスクールに留学します。

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高校時代のエピソード

趣里

イギリスのバレエ学校・アーツエデュケーションスクールに進学した趣里さんは、バレエの本場で本格的にバレエを学びます

仲間たちと切磋琢磨しながらバレエ一筋の生活を送っていましたが、在学中にアキレス腱断裂と足首の剥離骨折でバレエをドクターストップされてしまいました。

趣里

泣く泣くバレリーナの夢を断念して、高校卒業程度認定試験を取得して大学進学の資格を得ます

バレエを辞めるか辞めないか悩んだ際に母親の伊藤蘭さんは「自分のことは自分で決めなさい」と一言放ったそうです。

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大学時代のエピソード

趣里

趣里さんは高卒認定取得後、明治学院大学に進学

大学進学には予備校に通っていたのですが、歴史が壊滅的でとても苦労したそうです。

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大学時代はバレエの代わりに芝居に目覚めて、アクターズスクールに通うなど演劇中心の生活を送っていました。

女優業に専念するために、明治学院大学は中退しています。

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現在

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趣里さんは、現在映画やCMで活躍する売れっ子女優に変貌

『ブラックペアン』での鬼気迫る役柄や、菅田将暉さんとの共演作『生きてるだけで、愛』など話題作に多数出演して今や日本の演劇に欠かせない存在となっています。

女優デビューした際に父親の水谷豊さんの名には到底及ばないと感じて、水谷姓は隠していた趣里さん。

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七光りからは程遠く自力で名女優の名を掴み、ある程度キャリアを積んでから水谷豊さんの娘であることを明かしました。

2023年は朝ドラ『ブギウギ』で主演を務めています。

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デビューのきっかけも!

趣里

趣里さんのデビューのきっかけは、大学在学中に通っていたアクターズスクールです。

スクールのレッスンで塩屋俊さんに演技を褒められて女優業を勧められたことから、演技の道を志すようになりました。

海外のワークショップに短期在籍したこともあるそうです。

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2011年に『3年B組金八先生 ファイナル』でドラマデビューを果たし、5年間の下積み生活を経てブレイクを果たしました。

大学4年生のときには女優業専念のために、大学を中退しています。

アクターズスクールでの日々がなかったら、今の趣里さんはいなかったのです。

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まとめ

趣里さんの半生は、なかなか壮絶なものでした。

命を懸けていたバレエを怪我で断念せざるを得なくなるなど、若き日の趣里さんにとって辛い経験もあったのです。

バレエの道を絶ったからこそ女優業に勧めたので、もしかすると足の怪我は神様からのプレゼントだったのかもしれません。

趣里さんには、これからも自分の信じる道を突き進んでほしいです。

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