俳優として知名度も高く、確かな演技力でさまざまなドラマや映画に出演している高橋一生さん。
そんな高橋一生さんですが、実は生い立ちが壮絶だったことがわかりました。
高橋一生さんがこれまでにどんな人生を歩んできたのか、気になる人もいるのではないでしょうか。
そこで、高橋一生さんの幼少期からデビューのきっかけまでを詳しく見ていきましょう。
こちらも読まれています。
高橋一生の生い立ちが壮絶!
高橋一生さんは1980年12月9日に、東京都で生まれました。
母親は2度の離婚と3度の結婚を経験しており、高橋一生さんには父親が3人、そして腹違いの弟が4人います。
高橋一生さんは東京都赤坂区で育ったものの、母親の金遣いが荒く何度も事業にチャレンジしては失敗していたため、決して裕福ではありませんでした。
弟たちの面倒を高橋一生さんが見ることが多く、学生時代から大変な日々を過ごしてきたのではないでしょうか。
そんな母親は高橋一生さんや弟たちが学生だった頃から、お金を無心していました。
母親は、子供たちに近所の友達から「お金を借りてこい」と言うこともよくあったそうで、次第に高橋一生さんにもお金を借りにくることが多くなりました。
さらに、お金が無くなると子供たちの物を勝手に売っていたとのこと。
そして、高橋一生さんの車も勝手に売ってしまいました。
これまでずっと我慢してきた高橋一生さんですが、ここで「縁を切る」と言い家を出て行きます。
そこから10年間母親とは絶縁状態でした。
再び再会を果たしたのは、母親が癌になってしまい入院したときです。
そこで母親から「ごめんね、今まで」と謝られ最後には和解。
その後、母親は他界し高橋一生さんは母親の最後を看取ることができました。
幼少期からデビューのきっかけまでを確認!
ここからは、高橋一生さんの幼少期からデビューまでを時系列順に確認していきます。
幼少期
幼少期の頃の高橋一生さんは外でたくさん遊ぶ子ではなく、ふさぎがちな子供でした。
そんな高橋一生さんを見ていた祖母は、高橋一生さんが変われるようにさまざまな習い事をさせたとのこと。
しかし、どれもやってはみるものの、長続きはしませんでした。
あるとき、高橋一生さんは児童劇団に入り、定期的に行われる発表会にも参加していました。
発表会には祖母がよく見に来ていたそうで、高橋一生さんが頑張っているのを見て喜んでいたとのこと。
そんな祖母の姿を見た高橋一生さんは感動して、芸能活動へ進むことになりました。
小学校時代
子役活動を始めた高橋一生さんですが、当時母親から「あんたなんか対した顔じゃない」「主役級の顔じゃない」など、厳しい言葉をかけられていました。
ネット上では「毒親」とも言われていますが、母親にこんなことを言われると子供は落ち込みますよね。
幼少期の頃ふさぎがちだった高橋一生さんですが、小学生になると友達とよくバスケットボールをしていました。
そのとき、かっこいいお兄さんが3Pシュートの練習をしていたそうで、シュートのコツを教わったとのこと。
そのお兄さんが俳優の村上淳さんだったそうで、すごい偶然ですよね。
中学時代
中学生になるとバスケットボール部に所属し、部活動にも励んでいました。
また、バンド活動も行なっていたそうで、高橋さんはボーカルとギターを担当していたとのこと。
バスケ部やバンド活動も行い、顔もカッコ良かったので、当時からモテていたのではないでしょうか。
高橋一生さんの母親はお金がなくなってきてもなかなか生活レベルを下げられず、次第に高橋一生さんや弟たちにお金を借りてくるように言ってきたとのこと。
赤坂といえば高級住宅街が建ち並び、高橋一生さんの周りには裕福な子供たちも多かったのではないでしょうか。
そんな裕福な友達ができると、「家賃が払えないから100万円借りてこい」と言われ、お金を無心させられていました。
さらに、子役として活躍するようになると、日に日に高橋一生さんにもお金を借りに来るようになります。
年頃の高橋一生さんにとっては相当辛いことだったのではないでしょうか。
高校時代
高校になると、堀越高校のトレイトコース(芸能コース)に進んだこともあり、同級生だったV6の岡田准一さんと仲良くなります。
よく校舎の屋上で語り合ったり、テスト勉強を一緒に行ったりしていたそうで、当時から相当仲が良かったことがわかります。
そんな高橋一生さんですが、家に戻ると夕方頃から仕事に出かける母親の代わりに、弟たちの面倒を見ていました。
オムツを変えたり、哺乳瓶でミルクをあげたりすることもあったそうで、高橋一生さんが親代わりだったのでしょうね。
デビューのきっかけ
高橋一生さんは30代半ばで俳優としてブレイクしますが、もともと子役時代から芸能活動をしています。
デビューしたきっかけは幼い頃児童劇団に参加していたとき、祖母が見に来ていて喜んでいた姿に感動したことでした。
このときに、演じることの楽しさを味わったのかもしれませんね。
高橋一生さんが9歳のときに、映画『ほしをつぐもの』で子役デビューを果たします。
そのほかにも、ドラマ『ニューヨーク恋物語』にも出演していました。
中学時代には戦隊モノの『恐竜戦隊ジュウレンジャー』にも出演したことがあります。
決してブレイクとまではいかなかったものの、子役時代からコンスタントに作品に出演していました。
やはり当時から、演技の才能があったのかもしれませんね。
その後、35歳で出演したドラマ『民王』で見事にブレイクしました。
遅咲きではあるものの、子供の頃から努力してきたことがようやく身を結び、高橋一生さんにとっても嬉しいことだったのではないでしょうか。
36歳のときには映画『Blank 13』で初主演を飾り、今ではさまざまな作品で主演を務めています。
2021年1月現在40歳の高橋一生さんですが、今後も高い演技力を活かして、視聴者を魅了していくのではないでしょうか。
まとめ
今回は、高橋一生さんの壮絶な生い立ちや、幼少期からデビューまでをまとめました。
高橋一生さんは母親に暴言を吐かれたり、お金を無心させられたりするなど、壮絶な学生時代を送っていました。
そんな中でも、幼少期の頃から芸能活動を始め、これまで続けてこれたのは児童劇団のときに喜んでくれた祖母の存在が大きかったかもしれませんね。
そんな苦労人の高橋一生さんは、今後ともさまざまな作品に出演していくかと思われます。
そんな高橋一生さんに今後も注目していきましょう。
こちらも読まれています。