水谷豊さんの生い立ちは、どのようなものなのでしょうか?
本記事では、水谷豊さんの幼少期から現在までの生い立ちを詳細に記載します。
また、水谷豊さんのデビューのきっかけも確認。
水谷豊さんがどのように芸能界に入ったのか、詳しく見ていきましょう。
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Contents
水谷豊の生い立ち・幼少期から現在まで!
水谷豊さんは、四人兄弟の末っ子として北海道空知郡芦別町に誕生しました。
雪で有名な北海道ですが、真夏は裸で川で泳げるほどのどかな気候だったそうです。
水谷豊の小学生時代のエピソード
水谷豊さんは北海道の芦別町にある立野花南小学校に入学しますが、父親の転勤で東京都立立川市富士見町にある立川市立第一小学校に転校します。
水谷豊さんの父親はとても忙しく、ほとんど家にいなかったそうです。
転勤で小学校を転校することになったとき、水田豊さんは初めて父親の顔を見たといいます。
小学生時代は野球に打ち込んでいた水谷豊さん。
リトルリーグで大会に出るのが夢でしたが、上限年齢に達してしまったためやむなく夢を諦めました。
ほかにも小学生時代の水谷豊さんは相撲にも興味があり、力士になりたいと思ったこともあったそうです。
また、小学生の頃の水谷豊さんはチャップリンが大好きで、読書感想文にはチャップリンの本を選んでいたと明かしています。
チャップリンの本を読んでどんなところにもユーモアがあると感じた水谷豊さんは、チャップリンの伝記に非常に感銘を受けたそうです。
水谷豊の中学時代のエピソード
水谷豊さんの出身中学校は、立川市立立川第一中学校です。
中学時代の水谷豊さんは運動神経抜群で、陸上部にスカウトされて、陸上部で活躍します。
そして、水谷豊さんは中学校在学時に国立競技場で走ったこともあるといいます。
スポーツに打ち込むあまり、骨が歪んで首がしびれてしまったという水谷豊さん。
針治療を受けて、どうにか回復したそうです。
そして、中学校に入ると劇団ひまわりに入団して、早い段階で芸能界デビューを果たしました。
水谷豊さんのデビューのきっかけについては、後程お話しします。
水谷豊の高校時代のエピソード
水谷豊さんは、大成高等学校に進学します。
高校時代の水谷豊さんは、バスケットボール部に所属していました。
運動も勉強もできた水谷豊さんですが、すでに芸能界入りしていたため、周囲からは芸能人扱いされて孤独な高校時代を送っていたそうです。
彼女もおらず孤立した高校時代を送った水谷豊さんですが、芸能活動は順調。
『バンパイヤ』でドラマ初主演を務めた後一度芸能界を引退しますが、その後も俳優として第一線で活躍しています。
水谷豊の現在
水谷豊さんは、現在ベテラン俳優として芸能界の第一線で活躍しています。
ドラマ『相棒』はもちろん、舞台やCMなど様々なシーンで活躍。
妻で元キャンディーズの伊藤蘭さんとの間に授かった娘・趣里さんも、現在は女優として活躍しています。
趣里さんとの父子共演はないものの、親子仲はとてもいいようで、未だに一緒にお茶を楽しむそうです。
俳優として人生を歩み始めて長きに渡る水谷豊さんですが、今後も『相棒』など日本の芸能界に欠かせない存在となるでしょう。
デビューのきっかけも!
水谷豊さんは、小学生時代に家にやってきたテレビを見たことで、芸能の世界に目覚めます。
当時テレビに夢中になっていた水谷豊さんは「どうしてこんな小さな箱の中に映像が映し出されているんだろう?」と疑問に感じます。
そして「いつかこの箱の中に入ってやろう」と思うようになったそうです。
その後水谷豊さんは、父親が家にいない寂しさからか、自宅に帰らない不良少年になります。
当時ご近所さんが不良少年だった水谷豊さんを可愛がってくれて、テレビを見ながら「あの箱の中に入りたい」という水谷豊さんに、児童劇団の存在を教えてくれました。
興味を持った水谷豊さんは劇団ひまわりへの入団を決意します。
水谷豊さんの母親は当初劇団入りを心配しましたが「家に帰らないよりはいいか」と、児童劇団への入団を許してくれたそうです。
劇団ひまわり入団後に人間不信に陥った水谷豊
水谷豊さんは、劇団ひまわりに入った後エキストラとして活躍します。
しかし、自分が思っていた世界と違ううえに大人の嫌な一面を見てしまったため、人間不信に陥ってしまうのです。
水谷豊さんは、しばらく大人を信じられない状態にありました。
『バンパイヤ』や『その人は女教師』などで主演を務めるも、心の中には何か違和感があったという水谷豊さん。
そして「こんなに時間をかけて大勢の中で一瞬だけしか活躍できないのは違う」と思ったため、水谷豊さんは劇団ひまわりを退団。
そのまま芸能界を一度引退します。
父親の会社の倒産が原因で芸能界復帰
芸能界を引退した水谷豊さんは、アメリカの大学受験を目指します。
しかし、父親の会社が倒産して金銭的な援助を受けられなくなったため、渡米は断念。
国内の大学を受験しましたが、浪人してしまうのです。
人生で初めて挫折を味わった水谷豊さんはヤケになって、家出を繰り返します。
その後紆余曲折を経て実家へ帰った水谷豊さんは経済的な事情でアルバイトをせざるを得なくなりました。
そのとき、子役時代に知り合ったプロデューサーから芸能関係の仕事を紹介されて「普通にバイトするよりは」と、役者のバイトを引き受けました。
バイト感覚で芸能界復帰を果たした水谷豊さんに、次々芸能の仕事が舞い込みます。
こうしてキャリアを積んで、水谷豊さんは、俳優としての経歴をどんどん重ねていったのです。
まとめ
水谷豊さんは、紆余曲折ある人生を送ってきた末に、ベテラン俳優として活躍しています。
大学受験には失敗してしまいましたが、それが功を奏して芸能界入りを果たした水谷豊さん。
娘の趣里さんも女優として順調に活躍しているため、今後も親子で芸能界を牽引していくと思われます。
これからも水谷豊さんには、『相棒』で右京さんとして全国の視聴者を魅了してほしいです。