女優として引っ張りだこな有村架純さんですが、その生い立ちが壮絶!と話題になっています。
なんと有村架純さんは、母子家庭で育ち、週6でアルバイトをしていたそうです。
有村架純さんはどのような家庭でどのような生い立ちのもと成長したのでしょうか?
有村架純さんの生い立ちに迫ってみましょう。
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有村架純の生い立ちが壮絶!
清純派女優の代表格として今やテレビに引っ張りだこな有村架純さんですが、その生い立ちは壮絶でした。
有村架純さんの通っていた幼稚園は表立って公表されていませんが、小学校まで奈良県に住んでいたそうなので『奈良県香芝市立五位堂幼稚園』に通っていたのではないかといわれています。
幼少期の有村架純さんは『五星戦隊ゴセイジャー』が好きで、外で遊ぶ活発な子でした。
2歳年上のお姉さん・有村藍里さんは有村架純さんとは正反対で、お人形遊びが好きな大人しい子だったそうです。
小学生の頃は両親が共働きだったため、夏休みには祖母の家にいき、祖母に面倒を見てもらっていました。
そこでキャンプを楽しんだりしたといいます。
初恋は小学校4年生で、お相手はバスケットボールをやっていた運動神経抜群な男の子だったようです。
小学4年生で両親が別居
そんな活発で元気な有村架純さんですが、小学校4年生のときに壮絶な体験をします。
なんと、有村架純さんが小学4年生のときに両親が別居してしまうのです。
有村架純さんは幼い頃父親が大好きだったため、父親と離れて暮らすのはとても寂しかったと語っています。
父親は言葉遣いやしつけに厳しい厳格な性格でしたが、その一方で休みの日にたこやきを焼いてくれたりユーモアがありいつも笑わせてくれて、有村架純さんにとってはとても大切な存在だったようです。
両親の別居の原因は父親の浮気という噂がありますが、こちらの真相は不明です。
別居直前は夫婦喧嘩が絶えなかったそうなので、性格や価値観の不一致があった可能性があります。
母子家庭で育ち、週6でアルバイト生活!
小学校4年生のときに両親が別居してしまった有村架純さんは、母親に引き取られ兵庫県伊丹市に引っ越します。
小学校名は不明ですが、中学校は伊丹市立西中学校、高校は兵庫県立伊丹西高校へ進学したようです。
高校時代には芸能界デビューを果たしているので、伊丹西高校を中退して日出高校へ転校しています。
有村架純さんが小学校4年生のときに別居を開始した両親は、有村架純さんが中学1年生の時に離婚しています。
中学生にして母子家庭で生活することになった有村架純さんは、中学時代自立することばかり考えていたそうです。
その後「母親に楽をさせたい」という思いで女優を目指し中3で芸能事務所『フラーム』のオーディションを受けますが、不合格になってしまいます。
事務所からは「標準語を喋れるようになる」「2kg痩せる」という課題を出され、1年後に再受験することを決意します。
有村架純さんは課題を克服しながら受験費用捻出、そして家計を支えるために週6でアルバイトをしていました。
平日は4時間、休日は10時間も蕎麦屋と寿司屋を掛け持ちして働いていたそうです。
熱が出てもバイトを休まず、お店やお客さんからの評判はとても良かったみたいですね。
「落ち着いているね」とよく言われる有村架純さんすが、それは両親の離婚後父親代わりになって母親や姉を守ってきたから。
常に家庭では父親の役割を意識していたそうです。
そして、2009年12月に課題を見事克服してフラームのオーディションに合格。
高校3年生で上京し、2010年4月に日出高校・通信課程に編入しています。
有村架純のバイト先は『栄鮨』
有村架純さんは寿司屋と蕎麦屋でアルバイトをしていましたが、バイト先の寿司屋の名前が判明しているようです。
有村架純さんが働いていた寿司屋は『栄鮨』というそうです。
蕎麦屋の名前は不明となっています。
栄鮨の大将の次女が有村架純さんの親友で、大将は有村架純さんにとって「伊丹の父親」でもありました。
栄鮨の大将と有村架純さん一家は家族ぐるみの付き合いで、上京することになったときには、空港まで大将とその家族がお見送りに来てくれたそうです。
有村架純さんが週6で1日10時間も働けたのは、バイト先の人間関係に恵まれたからだったのかもしれませんね。
まとめ
今回は、有村架純さんの生い立ちについてお話ししました。
有村架純さんが母子家庭で育ち、週6でバイトをしていたなんて驚きでした。
清純そうな見た目ですが芯がある性格なのは、幼い頃の経験の影響かもしれませんね。
今後も頑張り屋な有村架純さんを応援しましょう。