日本を代表する演技派俳優であり、ワイルドで大人な男性の魅力がある阿部寛さん。
これまでに数々の主演作品が大ヒットしており、演技力の高さも凄まじいですね。
そんな阿部寛さんの生い立ちや、デビューのきっかけが気になる人もいるのではないでしょうか。
そこで、阿部寛さんの幼少期から現在までを詳しく紹介していきます。
こちらも読まれています。
阿部寛の生い立ち・幼少期から現在まで!
阿部寛さんは、1964年6月22日に神奈川県横浜市神奈川区で生まれました。
3人兄弟の末っ子として育ち、大学在学中に『集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞』に応募し優勝しています。
応募した理由も優勝商品の車欲しさだったそうですが、優勝できるということはそれだけ当時から魅力的な人だったのでしょうね。
その後、1987年に映画『はいからさんが通る』で俳優デビューを飾ります。
しかし、決してすぐに人気俳優へ駆け上がったわけではなく、仕事も無くなり借金を抱えてしまいました。
今の阿部寛さんを見るとあまり想像できませんが、当時はかなり苦しい生活をしていたのではないでしょうか。
そんな阿部寛さんがブレイクすることになったきっかけが、2000年に出演したドラマ『TRICK』。
同作品で徹底して3枚目を演じると注目を集め、その後主演ドラマ『結婚できない男』の演技が高く評価されましたね。
阿部寛さんの家族構成は、父親・母親・兄・姉・阿部寛さんの5人家族です。
阿部寛さんの家族に関する情報は多くないものの、父親はエンジニアの仕事をしていました。
阿部寛さんは理系の大学へ進学していますが、もしかすると父親の影響があったのかもしれませんね。
母親は明るく社交的な人で、教育熱心な人でもありました。
阿部寛さんが子供の頃は、優しくときに厳しく接してくれたのではないでしょうか。
ここからは、阿部寛さんの幼少期から現在までを時系列順に確認していきます。
幼少期
阿部寛さんは横浜市神奈川区で生まれると、兄・姉とともに育ちました。
幼少期の頃はよく喋る子だったそうで、性格も明るくて周りの人から好かれるタイプだったとのこと。
末っ子ということもあり、家族からも可愛がられて育ってきたかもしれませんね。
ちなみに、今でこそ身長が189cmと高いですが、当時は兄や姉とそこまで変わりませんでした。
その後成長していく中で、阿部寛さんは急激に身長が伸びていったのでしょうね。
幼少期の頃は水泳と陸上を習っていました。
わんぱくで目立ちたがり屋な一面もあったそうで、当時から運動も大好きだったのかもしれませんね。
小学時代
小学生時代の阿部寛さんは、足が速くて周囲の中でも1番でした。
あまり阿部寛さんが足の速いイメージはありませんが、当時はかなり運動神経抜群だったのではないでしょうか。
しかし、小学5年生になると阿部寛さんよりも足の速い子が出てきて、その子には勝てなくなりました。
そのときはかなり悔しかったそうで、この頃ならその子に対してライバル心を燃やしていたとのこと。
この頃の年代だと負けてしまったらやる気がなくなったり落ち込んでしまったりすることが多いですが、阿部寛さんは相当負けず嫌いだったのでしょうね。
中学時代
中学時代になると、小学校の頃に走りで勝てなかったライバルが生徒会長に立候補します。
すると、阿部寛さんに対して応援演説を頼んできました。
阿部寛さんは「なんで俺?」と思いつつも、応援演説をすることになります。
すると、その応援演説が大好評で、演説が終わる頃には生徒から大きな拍手喝采を受けました。
結果的にライバルも生徒会長の選挙で当選しています。
阿部寛さん曰くなぜ演説が好評だったのかは定かではないものの、当時から言葉で人に伝える才能が高かったのかもしれませんね。
高校時代
高校へ進学した阿部寛さんは、走りが得意だったため陸上部へ所属します。
種目は200m短距離走で、毎日部活に明け暮れる日々を過ごしていました。
小さい頃から、走ることが本当に好きだったのでしょうね。
そんな阿部寛さんの高校は偏差値42と決して高くなかったものの、大学へ進学するために猛勉強を始めます。
部活も忙しい中で勉強も必死に取り組んでおり、この頃からやると決めたことは最後までやり通す人だったのではないでしょうか。
結果的に一浪して、中央大学理工学部電気工学科へ合格しました。
偏差値55の大学で、阿部寛さんがどれだけ努力したのかがわかりますね。
大学時代
大学へ進学した阿部寛さんは、姉の勧めもあり『集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞』に応募し優勝します。
高身長・すらっとしたスタイル、くっきりとした顔立ちをしていたので、審査する人から見ても魅力的だったのでしょうね。
この優勝がきっかけでモデルデビューをした阿部寛さんは、当時カリスマモデルとして人気を集めました。
『メンズノンノ』でおよそ3年半モデルを務めると、43号連続で表紙を飾っています。
1ヶ月に4000通のファンレターが届いたこともあり、どれどけ阿部寛さんが人気だったのかわかるエピソードですね。
そんな阿部寛さんが大学進学を決めたのは、父親と同じくエンジニアになるためでした。
身近で仕事をする父親を見てきたので、憧れていた一面もあったのではないでしょうか。
父親からしても、努力して大学合格してくれたことが、相当嬉しかったかもしれませんね。
現在
大学卒業後、1987年に映画『はいからさんが通る』に出演して俳優デビューを飾ります。
しかし、当時は高身長のせいで女優さんとの身長差が出てしまい、役を降ろされることもよくありました。
次第に仕事量も減っていき、その後もなかなか仕事する機会が得られなくなります。
そんな中、モデル時代に投資用として購入したマンションの不動産価値が大暴落すると、およそ数億円の借金を抱え込むことに。
一時期はパチンコでなんとか生計を立てていたこともあるなど、相当苦しい時期を歩んでいました。
このエピソードはさすがに驚きましたね。
そんな阿部寛さんが俳優としてブレイクしたのが、ドラマ『TRICK』でした。
同作品で女優の仲間由紀恵さんとのコンビが話題となると、その後も『ドラゴン桜』や『結婚できない男』など人気作に次々と出演。
2007年に出演した映画『バブルへGO』の舞台挨拶で、「借金をすべて完済した」ことを報告していました。
阿部寛さんはどん底に突き落とされても努力し続け、自分の力で這い上がっていたのでしょうね。
その後も『テルマエ・ロマエ』や『下町ロケット』シリーズ、『麒麟の翼』など数々の話題作に出演し、今ではトップクラスの俳優へ上り詰めました。
今後も阿部寛さんは高い演技力を活かして、さまざまな作品に出演していくのではないでしょうか。
デビューのきっかけも!
阿部寛さんがデビューしたきっかけは、大学在学中に『集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞』に応募したことでした。
応募した理由は優勝商品の車が欲しかったからだったそうですが、見事に優勝してしまいます。
ちなみに、応募を勧めたのは姉だったそうで、姉から見ても「優勝できる!」と思っていたのかもしれませんね。
優勝したことがきっかけでモデルデビューすることになり、その後俳優デビューもしています。
学生時代から俳優になりたいと思っていたわけではないものの、やっていく中で演じることの楽しさなど実感したのかもしれませんね。
まとめ
今回は、阿部寛さんの幼少期から現在までをまとめました。
阿部寛さんは幼少期の頃から明るくて人から好かれるタイプだったそうで、小学生時代は足が速く運動神経も抜群でした。
高校では陸上部に所属し、大学在学中にモデルデビューしています。
その後は不遇な時代も過ごしましたが、俳優として成功し、今では日本を代表するトップクラスの俳優ですね。
そんな阿部寛さんを今後も注目していきましょう。