松本潤さんといえば、現在ドラマやCMなどで活躍する人気俳優。
嵐のメンバーで国民的アイドルだっただけに、ファンならずとも生い立ちが気になりますよね。
松本潤さんの幼少期から現在までの生い立ちや、デビューのきっかけをご紹介します。
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松本潤の生い立ち・幼少期から現在まで!
2020年をもって活動休止を発表した嵐のメンバー・松本潤さん。
多くの人に親しまれているだけに、生い立ちや過去のエピソードが気になります。
そこで、松本潤さんの幼少期から現在に至るまでの情報を時系列でまとめていくことにしました。
幼少期のエピソード
松本潤さんは、東京都豊島区に実家があり、卵加工会社社員の父と青森県八戸市出身の母親、2歳年上の姉という4人の家族のもと育ちました。
実家は東京都豊島区にあるそうです。
出産時は難産で大変だったとのこと。
もともと名前は「純」になるはずだったのですが、同じ名前のお酒があり、お酒と同じ名前はさすがに可哀想だと「潤」という名前になりました。
松本潤の母親は栄養士の免許を持っており、料理上手なため松本潤は母親の塩むすびが大好きだったそう。
ちなみに松本潤さんは大好物にお寿司を挙げていますが、お寿司はお墓参りの後に家族で食べた思い出の味だったと語っています。
家族仲・姉弟仲はとても良かったようですね。
小学生時代のエピソード
松本潤さんは、豊島区時習小学校出身です。
小学生時代の松本潤さんは、意外なことにマイペースで団体行動が苦手だったそうです。
通信簿には「協調性に欠ける」「団体行動をとることが苦手」と書かれていたことも。
小学校2年生のときにはトラックに轢かれるという大事故に遭い、家族旅行が中止になってしまいました。
部活動は野球部・バスケ部に所属し、すでに女の子からはモテモテ。
バレンタインには大量のチョコをもらっていたそうです。
現在は高身長でスタイル抜群な松本潤さんですが、小学生の頃は背の順でいつも一番前だったとのこと。
前ならえはいつも腰に手を置くポジションでした。
また甘えん坊なところがあり、人に気さくに話しかけることが難しいシャイな一面を持っていたそうです。
成績は優秀で、小学校6年生のときには豊島区内の脳力テストで10位にランクインしています。
中学生時代のエピソード
松本潤さんの出身中学校は豊島区立西巣鴨中学校です。
中学時代の松本潤さんは、ルイヴィトンのボストンバッグを持って、上下ベロアのジャージで登校していたそうです。
シャイな松本潤さんなりに、目立ちたくないからとそのスタイルで通学していたのですが、当然他の生徒は制服だったため、逆に目立ってしまいました。
中学1年生のときには学級委員長を務めており、席替えを挙手制にするなど、クラスの権力を握っていたそう。
お姉さんも学級委員を務めていたのですが、小学生時代からヤンチャだった松本潤は中学3年生のときに不良の男子生徒に目を付けられてしまいました。
お姉さんは学級委員長という立場を活かし、「弟に手を出すなよ」と松本潤さんを守ったそうです。
高校生時代のエピソード
小学生の頃から団体行動が苦手だった松本潤さんは、高校進学後もマイペースな性格は変わらなかったそうです。
規則やルールなど理不尽なことが苦手で、「ダースベーダー」「キング」と呼ばれ近付きにくい雰囲気を醸し出していました。
高校は堀越高校に進学し、同級生に中村七之助さんがおり、中村宅に出入りして家族ぐるみの付き合いをしていたそうです。
中村七之助さんいわく、松本潤さんは「自分のテリトリーに入れない人には鬼のように厳しい人」だったんだとか。
また高校時代の松本潤さんは勉強が苦手で、勉強熱心な中村七之助さんがいなければ絶対学校をやめていたと語っています。
そもそも松本潤さんは中学時代既にデビューしており、中卒のまま仕事に専念しようかと思ったのですが、嵐の櫻井翔さんが「高校は出ておいたほうがいい」とアドバイスをしてくれたため、将来のために仕方なく高校に進学したようです。
勉強も団体行動も苦手となると、高校時代に楽しい思い出はあまりなかったかもしれませんが、だからこそ中村七之助さんとの出会いは尊いものとなったはずです。
お二人はあまりに仲が良かったため、女子生徒から「付き合ってるのでは?」と噂されたようです。
同級生には水川あさみさんや松田龍平さんらもおり、2学年下の上戸彩さんはよく松本潤さんにお金を借りていたことをのちに明かしています。
出席日数は少なかったものの、レポートなどをしっかり提出し仕事と学業を両立させ、無事高校を卒業しています。
現在
松本潤さんは、高校卒業後大学には進学していません。
1999年高校1年生のときに嵐としてデビューして以降、2020年まで嵐メンバーとして精力的に活動してきました。
アイドルとしての活動だけでなく『Vの嵐』や『史上最悪のデート』『金田一少年の事件簿』などドラマや映画にも多数出演し、俳優としても目覚ましい活躍を遂げています。
その後も『失恋ショコラティエ』や『花より男子』など名作にどんどん出演し、瞬く間に国民的名俳優に。
2020年に嵐が活動休止に突入してからは、俳優業に専念しており、2023年には『どうする家康』で主演を務めています。
松本潤さんは今もなお根強いファンに応援され、今後俳優として更に飛躍していくことが予想されます。
デビューのきっかけも!
松本潤さんは中学校に上がる段階で芸能界入りを果たしています。
噂によると、KinKi Kidsファンだった姉が松本潤さんの履歴書をジャニーズに送付したんだとか。
そのときのオーディションは受験しなかったのですが、後日写真を見たジャニーさんから連絡が入り、異例のオーディションなしで見事ジャニーズ入所を果たしています。
ジャニーさんには先見の明がありますね。
松本潤さんはジャニーズ入所から3年半後の1999年に『嵐』としてデビュー。
実は当時のメンバー選びは滝沢秀明さんと今井翼さん中心だったのですが、方針が変わって櫻井翔さんと二宮和也さんを中心にグループが構成されることになりました。
当初は松本潤さんはメンバー候補に入っていなかったのですが、ジャニーさんの気が変わり、松本潤さんは嵐の3人目のメンバーに選出。
最年少メンバーだったにも関わらず、グループ内では櫻井翔さんとともに嵐のリーダー的ポジションとなりました。
松本潤さんはプロ意識が高く、ステージの演出なども手掛けてきましたから、その意識の高さに気付き、尊重してくれたメンバーが任せてくれたのかもしれませんね。
いずれにせよ、お姉さんの不純な動機が無ければデビューしていなかったため、お姉さんに感謝したいところです。
まとめ
松本潤さんの生い立ちをおさらいしました。
意外なことに、松本潤さんは学生時代一匹狼風な性格だったのですね。
今後も俳優として邁進していくことが予想される松本潤さんを、公私ともに応援したいものです。