モデル・俳優として第一線で活躍する鈴木亮平さんに関する話題をお届けします。
『TOKYO MER』など人気作品に出演する鈴木亮平さんですが、幼少期や学生時代のエピソードが気になります。
どんな生い立ちのもと育ったのでしょうか?
また、デビューのきっかけについても知りたいところです。
鈴木亮平さんの生い立ちや幼いころの情報、いつどんなきっかけでデビューしたかなど、お話ししていこうと思います。
こちらも読まれています。
Contents
鈴木亮平の生い立ち・幼少期から現在まで!
名前:鈴木亮平(すずき りょうへい)
生年月日:1983年3月29日(2021年9月現在38歳)
出身地:兵庫県神戸市
身長:186cm
血液型:A型
鈴木亮平さんは、もともとモデル出身でしたが2006年7月放送のドラマ『レガッタ~君といた永遠~』で俳優デビューを果たしています。
その後も映画『俺物語!!』に出演するなど、人気作品で多数活躍し、2016年には『ルドルフとイッパイアッテナ』で声優にも初挑戦しています。
そんな鈴木亮平さんは、幼少期から現在までどんな道のりを歩んできたのでしょうか。
鈴木亮平さんの生い立ちや幼少期のエピソードに迫ります。
鈴木亮平の生い立ち① 幼少期~小学生時代
まずは、鈴木亮平さんの幼少期から小学生時代のエピソードをご紹介します。
鈴木亮平さんの幼稚園については、どこの幼稚園に通っていたか現段階で確認ができませんでした。
ただ、兵庫県西宮市出身であることが判明しているので、幼稚園のその近辺に通っていたと思われます。
小学校は、西宮市立津門小学校出身です。
そして鈴木亮平さんの家族構成は以下の通りです。
- 父親
- 母親
- 兄
- 鈴木亮平さん
- 妹
5人家族で、3人兄弟の真ん中で育ったようです。
ちょっと意外ですね。
お父様は建築士で設計事務所経営、お母さまは学校の先生だったそうです。
お兄さんや妹さんについての情報はほとんどないのですが、妹さんはアニメが好きで過去にアニメ関連のラジオ番組にお便りを投稿していたという噂もあります。
鈴木亮平さん自身は小学生時代にアニメを見て声優に憧れていた時期があるらしいので、妹さんもそんな鈴木亮平さんの影響でアニメ好きになったのかもしれません。
建築家のお父様は、当時にしては珍しく、男女平等の考えを持った方でした。
そのため家事は共働きだったお母さまときちんと分担して行っていたそうです。
今では当たり前の考えですが、お母さまも助かったのではないでしょうか。
食事の支度や、掃除、お風呂の世話もきちんとこなし、子供たちにプリンを作ってくれたこともあるんだとか。
更にお父様はとても子煩悩で、今でも鈴木亮平さんに手土産を持って上京するといいます。
東京では珍しい『おにぎりせんべい』や『きやすのみたらし』という関西のお菓子を持ってくるそうです。
また、鈴木亮平さんの実家では家族そろって夕飯を食べるというルールがありました。
鈴木亮平さん自身はそのルールを窮屈に感じていましたが、父親が怖くて逆らえなかったといいます。
厳格な性格でありながら、家族を大事にするお父様だったのでしょう。
お母様については、福井県出身という情報しか分かりませんでした。
また、鈴木亮平さんのご両親は洋画が好きでよく見ていました。
その影響で鈴木亮平さんは小学校1年生のときにすでに字幕で洋画を見るようになっていたといいます。
お父様が「勉強もスポーツも、自分の責任で好きなものをやれ」というタイプだったこともあって、鈴木亮平さんは小学生のころから英会話教室YMCAに通っていました。
更に叔父が海外在住だったため7歳のときにはじめて海外旅行に行き、ユニバーサルスタジオやディズニーランドを満喫したそうです。
その際にトイレの場所を英語で聞いて通じたことがきっかけで、英会話に楽しさを見出すようになりました。
小学校6年生のときには、阪神淡路大震災を経験しています。
真っ暗な子供部屋にお父様が入ってきて、お兄様と鈴木亮平さんを抱いて避難所に行ったそうです。
電車が運行再開したときにお父様がお兄さんを連れて電車から神戸の街並みを見せて、「この景色を覚えておきなさい」と言いました。
鈴木亮平さんはそれ以降、そのときの光景を忘れたことはないといいます。
また鈴木亮平さんは小学校で児童会長を務めていたのですが、震災の影響で答辞を校庭で読んだというエピソードも。
こうして鈴木亮平さんの小学生時代を振り返ると、かなり賢くて活発、児童会長をやっていたので周囲からも人気があったことが分かりますね。
鈴木亮平の生い立ち② 中学生時代のエピソード
小学生時代から英会話教室YMCAに通い始めた鈴木亮平さんは、中学校3年間も通い続けました。
中学校は西宮市立今津中学校に進学しています。
バスケットボール部に所属し、英語にも引き続き興味があったため中学2年生のときにYMCAの企画でオーストラリアに10日間、中学3年生のときにはアメリカに一か月間ホームステイしています。
また、中学校のときからすでに俳優を目指していたといいます。
小学生のときに洋画に興味があったようですが、中学校でさらに映画の世界に興味を持ったとのこと。
しかし、役者志望の同級生は少なかったため周囲からは「何言ってんの?」と思われていました。
好奇心旺盛で小学生のときを変わらず、活発なお子さんだったんですね。
鈴木亮平の生い立ち③ 高校時代のエピソード
高校は、兵庫県立芦屋南高等学校(現在は兵庫県立国際高等学校)に入学しています。
クラスには男子が3人しかいなかったため、周囲の目を気にしてトイレで髪の毛にワックスをつけていたといいます。
高校で留学を推奨していたため、高校1年生のときにアメリカのオクラホマ州に一年間留学しました。
更にドイツ語も勉強して、高校2年生のときにはドイツ語スピーチコンテスト対話部門で優勝しています。
現在では売れっ子俳優の鈴木亮平さんですが、当時は勉学においてもかなり優秀な生徒だったことが分かります。
鈴木亮平の生い立ち④ 大学時代~現在
芦屋南高等学校を卒業した鈴木亮平さんは、東京外国語大学に進学しています。
幼いころに英語の魅力に気付いた鈴木亮平さん、大学でも英会話を熱心に学びなんと英検1級を取得しています。
大学時代は演劇サークルに所属し、3年間NHKの雑用係のアルバイトをしていました。
サークルの同期には、声優の利根健太郎さんや脚本家の山岡潤平さんがいたそうです。
2011年には一般人女性と結婚していますが、この女性とは大学時代からのお付き合いだったようです。
同年11月には第一子である長女が誕生。
少し早い出産で未熟児だったのですが、現在母子とも健康なようです。
デビューのきっかけについては後述しますが、演劇サークルの公演時に観客からほめてもらったことで、大学時代には役者の仕事を一生続けようと心に誓っています。
その後モデルを経て、2006年にドラマ『レガッタ~君といた永遠~』にて俳優デビューしています。
2014年にはNHK連続テレビ小説『花子とアン』で吉高由里子さん演じるヒロインの夫役を演じて、一躍ブレイク。
翌2015年には体重を30kgも増量して、映画『俺物語!!』で主演を務めています。
そのストイックな役作りで注目され、『西郷どん』や『東京タラレバ娘』『レンアイ漫画家』など人気ドラマに多数出演し、2021年には『TOKYO MER』で同年2本目のドラマ主演を果たしています。
様々な作品で欠かせない存在となっていますが、特に『TOKYO MER』は第10話の視聴率13.5%とかなり高い評価を得ているようです。
私生活では一児の父親であり、家族のためにも今後さらに活躍の幅を広げていくことが予想できます。
デビューのきっかけも!
鈴木亮平さんは、さきほどもお話ししたように大学時代演劇サークルに所属しながらNHKでアルバイトをしていました。
すでにプロの役者を志望していたものの、サークルにツテもなく「このままではいけない」「本当に役者になれるのか?」と自分のライフスタイルに疑問を抱いたそうです。
それがきっかけで、芸能事務所や制作会社に自ら履歴書を持って回ります。
50社以上から断られたためキャスティング会社も回ったのですが、そこで高身長を買われてモデル事務所を紹介してもらえました。
当時の名義は大好きな芸人『友近』さんが由来の『友近亮平』。
大学卒業後の2006年に塩谷俊さんの『演技学校アクターズクリニック』に所属し、演技を学びます。
同年5月に史上初の水着キャンペーンボーイに選出されると、そのスタイルの良さが注目され、見事念願の俳優デビューを果たしました。
鈴木亮平さんのように演技力があってスタイルもよければ、とんとん拍子でデビューが決まりそうですが、実際は50社も断られていたんですね。
ちょっとびっくりしました。
今でこそ売れっ子俳優ですが、デビュー前は自分の中で葛藤や焦りがあったことでしょう。
まとめ
今回は、鈴木亮平さんの生い立ちやデビューのきっかけについてお話ししました。
鈴木亮平さんは幼いころから英会話に興味があり、実はかなり優秀であることが分かりましたね。
奥様とお子さまのためにも、今後さらに俳優として活躍してほしいものです。
これからも、鈴木亮平さんの活躍をあたたかく見守っていきたいところですね。