俳優として第一線で活躍する、鈴木亮平さん。
世間では、そんな鈴木亮平さんの学歴に注目が集まっています。
鈴木亮平さんは今津中学校、芦屋南高校、東京外国語大学出身のようです。
各学校の偏差値や、学生時代のエピソードなどを交えて、鈴木亮平さんの学歴を掘り下げていきます。
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Contents
鈴木亮平の学歴・西宮市立津門小学校
まずは、鈴木亮平さんの出身小学校からご紹介します。
鈴木亮平さんは、西宮市立津門小学校出身だそうです。
ただこちらは、鈴木亮平さん公式で出身小学校について言及していたわけではなく、wikipediaの情報になります。
そして出身小学校に関しては出展情報がないので、信憑性については微妙なところです。
一応、今回は津門小学校出身という設定でお話ししていきます。
小学校ということで、偏差値はありません。
津門小学校は、JR西宮駅南口から数百メートルという立地の良さで知られています。
西宮市は鈴木亮平さんの出身地で、海と山に恵まれています。
海側は住宅街、山側は高級住宅街で、西宮駅北口が面している山側は『関西の住みたい街No.1』に選ばれています。
つまり、鈴木亮平さんの通っていた津門小学校は庶民的な住宅街に位置しているということですね。
小学校時代のエピソード
鈴木亮平さんは、2018年1月29日の『JCASTトレンド』で小学校から高校までバスケットボール部に所属していたことを明かしています。
幼いころから運動をやっていたから背が高く、体格がいいのでしょうね。
様々なポジションを経験し、最終的にセンターとしてゴール付近の攻撃・守備に励んでいたそうです。
小学校2年生のときには、海外で生活していた叔父の影響で家族旅行でロサンゼルスに行き、英語に興味を持ちます。
英会話教室『YMCA』に5年生から中学校まで通っていたというエピソードもありました。
海外の人々と触れ合い「英語ができるようになれば、いろんな人と話せる!」と思ったそうです。
英語に興味を持った経緯に関しては、トイレの場所を聞いたときに、現地の人に「レストルーム?」と聞いたら場所を教えてもらえたことがきっかけとして大きかったと語っています。
もともと鈴木亮平さんのご家族は洋画が大好き。
鈴木亮平さん自身は小学校一年生のときには、すでに字幕なしでアクション洋画を見ていたそうです。
そのため、本場のユニバーサル・スタジオを見たときは大興奮したのではないでしょうか。
そして西宮市といえば、やはり阪神タイガース。
男の子はみんな阪神の帽子をかぶっていたらしく、鈴木亮平さんが可愛らしく帽子をかぶっている画像もありました。
素朴で可愛らしいですね。
小学校では児童会長を務めていたため、答辞を読んでたこともあります。
鈴木亮平さんが小学校6年生のときに阪神淡路大震災があったため、体育館は避難所になり、卒業式は屋外で行われたそうです。
そのため、答辞は運動場で読んだといいます。
震災があったとき、鈴木亮平さんは子供部屋の2段ベッドで寝ていました。
お父さんが外に出るよう促し、阪神電車が神戸まで復旧した日に鈴木亮平さんとお兄さんを電車に乗せてくれたといいます。
そして、荒れ果てた神戸の街を見ながらお父さんは鈴木亮平さんにこう言いました。
「この景色をしっかり覚えておけ」
鈴木亮平さんは、街と、そこに住む人々の痛みや悲しみを電車に乗りながら学びました。
また、当時にしては珍しく鈴木亮平さんの父親は『男女平等』の考えを持っていたそうです。
建築家だったお父さんは、忙しいにもかかわらずお母さんに任せっきりにせず、家事や育児をきちんと分担していました。
震災のときの対応といい、とても素敵なお父さんですね。
鈴木亮平さんの穏やかで飾らない人柄は、お父さんの影響なのかもしれません。
鈴木亮平の学歴・西宮市立今津中学校
津門小学校を卒業した鈴木亮平さんは、同じく西宮市立の今津中学校に進学しました。
出身中学校に関しては、2015年1月1日発信の『西宮市政ニュースWEB版』で本人が語っているので、間違いないでしょう。
公立中学校なので、偏差値はありません。
中学校時代のエピソード
小学生のときに英語に目覚めた鈴木亮平さんは、中学に進学してから10日間の短期留学を経験しています。
英語教室『YMCA』の企画で、オーストラリアとアメリカ・スポケーンを訪れたそうです。
のちに、鈴木亮平さんはこのときの感動がきっかけで、高校で本格的に留学を考えたと語っています。
ただ、当時はまだ英語をほとんど話せませんでした。
鈴木亮平さんは英語を頑張る反面、バスケットボール部の練習にも全力を注いでいたといいます。
全力でバスケに向き合いすぎて、靭帯を怪我してしまったこともあります。
努力家な鈴木亮平さんのことですから、おそらく入院中も英語の勉強は欠かさず行っていたのではないでしょうか。
ちなみに中学校時代の鈴木亮平さんの画像はこちら。
ちょっとだけ今よりぽっちゃりしていますね。
あどけなさがあって可愛いです。
中学校のときに担任だった浜田先生は、3年間ずっと鈴木亮平さんに「芸能界に入れ」と言っていたそうです。
現在俳優として立派に活動しているのは、浜田先生の刷り込みだったのかもしれませんね。
鈴木亮平の学歴や偏差値・芦屋南高校(県立国際高校)
鈴木亮平さんは、今津中学校卒業後偏差値59の芦屋南高校(現在は県立国際高校)に進学しました。
こちらの高校は共学で、英語教育に重点を置いているようです。
進学率が高く、2021年の主な進学実績は以下の通りです。
- 東京外国語大学:1名
- 早稲田大学:1名
- 立命館大学:3名
- 同志社大学:4名
- 関西大学:3名
- 甲南大学:9名
- 近畿大学:6名
偏差値も高めですし、とても優秀な高校であることが分かります。
中学で短期留学を経験した鈴木亮平さんは、英語をさらに深く学びたいという思いで芦屋南高校に進学しました。
高校時代のエピソード
鈴木亮平さんは、芦屋南高校の国際文化科に進学しましたが、当時の国際文化科は40名の一クラスのみでした。
そのクラスには男子が鈴木亮平さん含め3人しかおらず、女子の視線を気にしてトイレで髪の毛を整えることもあったそうです。
同級生にはモデルのミカエルさんがいますが、鈴木亮平さんとは今でも親友の間柄です。
芦屋南高校では、留学を推奨していました。
鈴木亮平さんも交換留学制度を利用して、アメリカのオクラホマ州に1年間留学しています。
中学のときの10日間と比較すると、1年間という期間はとても密度が濃かったのではないでしょうか。
留学期間は休学扱いになるため、鈴木亮平さんは高校に4年間通ったことになります。
アメリカ名作『ビバリーヒルズ白書』のような華々しい留学生活を想像していた鈴木亮平さんは、自然が豊かで田舎なオクラホマ州にかなりビックリしたようです。
牧場や農場がたくさんあり、ホストファミリーの車がないと生活できない環境でした。
日本のことを知らない人ばかりで、ジャッキー・チェンが日本人だと思われていたといいます。
想像とはちょっと違う留学でしたが、卒業記念プロムに特別参加したり、学内の人気投票で1位に輝いたり、かなり充実したものでした。
留学中にドイツ人女性に恋をして、彼女のためにドイツ語を勉強すると『全国高校生ドイツ語スピーチコンテスト』対話部門で優勝するほど上達しています。
ドイツ人の先生に吹き込んでもらったカセットテープを聞いてコンテストに出たため、現在はドイツ語は話せないようですが、なかなか簡単にできる勉強法ではないですよね。
高校時代には甲子園球場のビール売りのアルバイトも経験しています。
また、運動会で旗を作る係になりましたが、全然終わらなくて運動会前日に徹夜してボロボロになってしまったというエピソードもあります。
役作りにストイックな鈴木亮平さんですが、高校時代からこだわりは強かったんですね。
高校ですでに芸能界を目指していたのですが、周囲からは「何言ってんだ?」と笑われてばかりいたそうです。
鈴木亮平の学歴や偏差値・東京外国語大学
芦屋南高校を卒業した鈴木亮平さんは、東京外国語大学に進学しています。
鈴木亮平さんが進学したのは外国語学部欧米第一過程英語専攻ですが、現在は言語文化学部英語専攻と改名されています。
偏差値は68と、かなり高いです。
国立の外語大の最高峰ともいわれ、鈴木亮平さんの出身学部は花形でもあります。
同学校の卒業者は、語学力を評価されて商社や外務省に就職する方も多いようです。
入学試験は英語の試験が150分もあるうえに、難解な長文問題や英作文が出題されるなど、最難関レベルとしても知られています。
幼いころから英語を学び、英語教育に重点を置く高校に進学した鈴木亮平さんは、この大学に進学して英検1級も取得しました。
鈴木亮平さんが上京したのは俳優になるためでもありましたが、そんな中で英検を取得するなんて本当に英語に対する熱意が強いんですね。
大学時代のエピソード
大学時代の鈴木亮平さんは、3年間NHKの報道番組の雑用係としてアルバイトをしていました。
ネットでトピックスを選定したり、取材に同行してサポートするような仕事で、かなりハードなアルバイトだったそうです。
また中学時代の先生からの刷り込みの影響なのか、俳優を目指して演劇サークル『劇団ダダン』に在籍したこともあります。
サークルで舞台に立ったことをきっかけに、役者になることを目指したそうです。
最初の公演でお見送りをするとき、お客さんが感動して泣いてくれたことで「こんなに人の気持ちに影響を与えられるんだ」と感じた鈴木亮平さん。
その後の大学生活は演劇漬けになりますが、サークルに芸能事務所へのコネが無かったため、焦って芸能事務所に履歴書を送ったり、直接訪問したりと50社以上回ったそうです。
しかし、まったく手応えがなく、キャスティング会社を周りはじめた結果高身長を買われ、モデル事務所に所属することになりました。
当時の芸名は『友近亮平』ですが、この『友近』はお笑い芸人友近さんが由来しています。
鈴木亮平さんはそのとき友近さんの大ファンだったそうです。
モデル事務所に所属すると、日本初の水着キャンペーンボーイを務めました。
鈴木亮平さん自身は、モデル経験を通して「オーディションに落ちることに慣れた」と語っています。
タフな精神をこの時期に構築したのでしょう。
なかなか俳優業への道が開けなかった鈴木亮平さんですが、大学卒業後にモデル事務所がホリプロと提携を結び、役者の仕事が舞い込んできます。
23歳のときには『アクターズクリニック』に入所し、映画監督・塩谷俊さんの指導を受けます。
アクターズクリニックの主な出身者は以下の通りです。
- 相武紗季さん
- 木村佳乃さん
- 深田恭子さん
- 長谷川京子さん
- 桐谷健太さん
- 向井理さん
錚々たる顔ぶれですね。
その後ドラマ『レガッタ~君といた永遠』で見事俳優デビューを果たしました。
長年の夢が叶ったのも、鈴木亮平さんが諦めずに地道に努力を重ねたからでしょう。
また、鈴木亮平さんは大学までに学んだ英語力を生かして『中学英語で世界一周!』という書籍を出版しています。
帰国子女やハーフでなくここまで英語が堪能なのは、幼いころから英語に触れ合い、忙しい合間を縫っても勉学に励んだからでしょう。
鈴木亮平さんの前向きで努力家な一面を、見習いたいですね。
まとめ
今回は、鈴木亮平さんの学歴についてお話ししました。
鈴木亮平さんが、こんなに英語ができるなんて知りませんでした。
今は俳優として活躍していますが、役者になるまでは紆余曲折あったんですね。
今後も、ストイックな鈴木亮平さんを応援したいです。