高い演技力で女優としての評価が高い岸井ゆきのさん。
どのような幼少期をすごし、どのような生い立ちで現在に至るのでしょうか?
岸井ゆきのさんの生い立ちや、幼少期のエピソード・デビューのきっかけなどを詳しく深堀してみましょう。
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岸井ゆきのの生い立ち・幼少期から現在まで!
父・母・兄と4人兄弟で育った岸井ゆきのさん。
出身地は神奈川県秦野市です。
岸井ゆきのさんは、どのような生い立ちで育ち、どんな幼少期を過ごしたのでしょうか?
幼少期から学生時代のエピソードをご紹介します。
幼少期・小学生時代のエピソード
神奈川県秦野市出身の岸井ゆきのさんは、幼少期丘の上の団地に住んでいました。
近隣に山や川など自然が豊かで、よく自然の中で遊びまわっていたそうです。
小学校1年生のときには器械体操を始めて地元の大会で優勝し、体操選手を目指していましたが、過去に木登りをしていた際に背中から落下して過呼吸になった経験があります。
落下事故は大事に至らなかったようですが、身体を故障して器械体操ができなくなる、という結果にならなくて本当によかったですよね。
また子供のころは液体のりをお道具箱に塗って時間が経ったらペリペリ剝がすという遊びにハマっていたといいます。
なかなかユニークでシュールな価値観を持った子供だったんですね。
中学生時代のエピソード
岸井ゆきのさんは、秦野市南が丘中学校に進学し、引き続き器械体操に励んでいました。
しかし、中学3年生のときにバク転に失敗し、それがトラウマになってしまい飛べなくなってしまいます。
受験のことも考えなくてはいけない時期だったため、そのまま中学3年生で器械体操はやめてしまったそうです。
中学時代体操の大会に多数出場し、優勝することもあった岸井ゆきのさん。
将来の夢は体操選手一択だったので、体操をやめた後は何をして生きていくか模索していた時期でした。
ちなみに同じ中学校の後輩には山田涼介さんがいたそうです。
高校生時代のエピソード
岸井ゆきのさんは、神奈川県立秦野総合高等学校に進学し、器械体操をやめてしまったので帰宅部だったそうです。
小学校〜高校は全て自宅の団地から徒歩10分以内で行ける距離でした。
器械体操から離れてしまった高校時代は、将来何をするか必死に模索する毎日を過ごしていました。
仕事をするなら衣食住のどれかに関わりたいと思っていたようで、保育士や美容師などにも興味を持ち、バリスタの学校や調理学校などの体験入学にも参加していました。
ちなみに秦野総合高等学校はバレーボールの強豪校としても知られています。
現在
岸井ゆきのさんは、2009年にドラマ『小公女セイラ』で役者デビューし、その後『おじいちゃん、死んじゃったって。』で映画初主演を果たします。
『まんぷく』では20代ながら14歳の少女役を熱演し、一気に女優として注目を集めます。
その後も映画『愛がなんだ』やドラマ『ルパンの娘』などに出演。
2022年にはドラマ『アトムの童』でヒロイン役を演じ、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの人気女優に成長しました。
デビューのきっかけも!
では、岸井ゆきのさんのデビューのきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
実は岸井ゆきのさんは、東京の専門学校に行く際に山手線に乗っていたときに女性カメラマンから被写体を撮影したいと声をかけられて、芸能界デビューを果たしています。
直接被写体撮影がデビューに繋がったわけではないのですが、女性カメラマンが連れて行った先が現在の事務所であるユマニテだったため、芸能界という世界を知った岸井ゆきのさん自身も女優を志すことになったようです。
当初はドラマでもセリフがない役を演じていましたが、劇団のワークショップなどに参加して演劇にも目覚めます。
そのため、上京後は観劇三昧の日々を過ごしていたそうです。
生活費は削れても観劇チケットは我慢できなかったようで、上京後の岸井ゆきのさんはアルバイトをいくつも掛け持ちしていました。
岸井ゆきのさんが大物女優になったきっかけは、まさかの通学電車の中でのスカウトだったんですね。
まとめ
岸井ゆきのさんの生い立ちについてお話ししましたが、まさか山手線でスカウトされて芸能界に入ったとは思いませんでした。
学生時代はとても活発な女の子だったようです。
今後も岸井ゆきのさんの動向を見守りたいものですね。